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れるので、私も安心して毎日を過ごしました。
月日の経つのは早いもので、小学校入学の年齢にも達し、新しい心配が出始めたのです。学区制があるので米沢市のろう学校に入らねばならないのですが、山形市に親類も多いので、私の妹の家に寄留して山形のろう学校に入学することにしました。
学校に行って驚きました。同じろうの子が何百人といるのです。こんなに医学が進歩しているのに、どうして治せないものかと思いました。
まさ子の先生は横山文男先生でした。ずっと持ち上がりなので子供の性質もよくわかり、本当によい先生に恵まれました。小学部は寄宿舎でしたから、着物の取替えなどで一週間に一度は必ず行かねばなりませんでした。
山形駅から三十分の所にありました。途中、焼まんじゅうをお土産に買って行きました。私も時計を見ながら一緒に遊んでやりますが、帰るときが一番こわいのです。私から離れないのです。
トイレに行く振りをして、やっとの思いで学校を離れるのですが、私のいなくなったことを知ると、横山先生に噛みついたり、しがみついて泣き出すというのです。
どこのお子さんも、みな同じだったろうと思います。まさ子一人のために残る兄弟五人も、それぞれ苦労したわけです。
それでも年毎に知恵もつき、中学を終えて高等部から汽車で通学するようになりました。カバンを持ってセーラー服を着るのも娘心の夢だったかも知れません。

 

 

 

 

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